目的半分、暇つぶし半分。

文章力をあげるため、そしてなにより暇つぶし。

テーマ「名言」2 人よ、幸福たれ

僕は箴言や格言を集めた本は割と好きで、それはなぜかというと途中で読むのをやめてしまってもすぐに読み返すことができるからだ。小説や学術書のように栞を挟んだ前まで物語がどうなっていたかとかどういう議論の展開だったかを思い出す面倒がない。このようにお手軽ではあるのだが、それゆえになかなか最後まで読み終えることができない。格言集の類は何冊か持っているのだが、今のところゲーテ格言集しか読み終えていない。というわけで、今日はゲーテ格言集の中から幾つか選出して紹介したいと思う。あらかじめ断っておくが、引用した格言に僕が注釈をつけることはしない。筆者がするならともかく、読者がそれに注釈をつけて紹介するなんてことは最も愚かな行為の一つだと思う。名言がなぜ明言たりえるのか、それは明言が端的に真理を言い表しているからだと思う。それをどう解釈するかは読者一人一人に委ねられているのであるから僕が解説するのは余計なお世話だろう。ただし、以下に挙げる格言を僕がどういう基準で選んだかを付け加えるくらいならしてもよいかもしれない。「善く生きるにはどうすればよいのか」これに限る。

君の値打ちを楽しもうと思ったら、君は世の中に価値を与えなければならない。(p.144)

絶えて倦まざる者を われらは、救うことができる。(p.162)

生活を信ぜよ! それは演説家や書物より、よりよく教えてくれる。(p.168)

人を知らねばこそ、人を恐れる。 人を避けるものはやがて人を見そこなう。(p.171)

仕事の圧迫は心にとってきわめてありがたいものだ。その重荷から解放されると、心は一段と自由に遊び、生活を楽しむ。仕事をせずにのんびりしている人間ほどみじめなものはない。そんな人はどんな美しい天分もいとわしく感じる。(p.83)

何か一つの仕事を、活動的であるが、翌日に持ちこさず、働いている時間には勤勉と確実とが必要だが、前後の配慮はいらないような仕事を知っていたら、ぼくは制限の中にあっても幸福であり得よう。だれにも劣らず幸福であり得よう。このことをこの数日ほど、はっきり感じたことはなかった。全ての職人がわたしには幸福な人間に思える。彼のなすべきことは明らかだ。彼のなしうることは決まっている。人が自分に求めることに思い煩うことをしない。彼は考えることなく、無理せず、急がず、しかも熱心と愛とをもって、鳥やミツバチが巣をつくるように、働く。彼は鳥獣の上にあることただ一段に過ぎないが、しかもひとりの全き人間だ。旋盤のかたわらにいる陶工、かんな台の後ろにいる指物師を、私はどんなにうらやむことだろう。(p.123)

どんな賢明なことでも既に考えられている。それをもう一度考えてみる必要があるだけだ。(p.176)

わたし(メフィスト)は、人間の苦しむのを見ているだけです。人間というこの世界の小さな神さまは今も同じ型にできていて、天地の最初の日と同じように気まぐれです。あなたがあいつに天の光のうつしを与えなかったら、もすこし工合いよく暮らすでしょうに、人間はあれを理性と呼んで、それを動物よりもっと動物らしくするためにだけ使っています。……人間という奴が毎日苦しんでいるのを見ると、気の毒になってしまい、わたしでさえ、あの哀れな連中をいじめるのがいやになります。(p.28)

思索なんかする奴は、枯れ野原で悪霊にぐるぐる引き回されている動物みたいなものです。そのまわりには美しい緑の牧場があるのに。(p.180)

人はほんとうは、ほとんど知らない時にのみ知っている。知識と共に疑いが増す。(p.184)

いや遠くさまよい出でんとするか。見よ、善きことはまことに近きにあり。幸福をとらえるすべを知れ。幸福は常に近きにあれば。(p.88)

ただちに内部へ向かえ、そのなかに中心が見つかる。どんな貴人もそれを疑いはしない。きっとそこに規則が見つかるだろう。独立の良心こそ 君の道義の日の太陽なのだから。……ほどよく充実と浄福を楽しめ、生が生を楽しむところには、常に理性をあらしめよ。そうすれば、過去は常住にあり、未来はあらかじめ生き、瞬間は永遠となる。(p.48)

もはや愛しもせねば、迷いもせぬものは、 埋葬してもらうがいい。(p.203)

※すべて、新潮文庫ゲーテ格言集』高橋健二 編訳より引用。  タイトルはゲーテとは関係ありません。主著執筆後庭師とかをやっていたあの哲学者の文言です。