目的半分、暇つぶし半分。

文章力をあげるため、そしてなにより暇つぶし。

「ペット」 飼い猫におもうこと

今回のテーマはペット。「ペットは飼い主に似る」という言葉をよく聞きます。性格の明るい飼い主であれば、ペットも明るい性格に育つ、体格がいい飼い主であれば、ペットも体格が良く育つ・・などなど。ペットが長い時間共に過ごすのは飼い主ですから、ペットが飼い主の鏡となるのは必然でしょう。

私の飼っているペットはネコです。15歳のレディーです。(長生きしてるなぁ)。彼女はとても戦略的に動いてきます。飼い主が一人で集中したいとき、ドアを閉めます。構って欲しい若かれし頃の彼女であれば、ジャンプしてドアの取っ手を下に下ろす。そんでもって、開きかかったドアにタックルして侵入してきます。そして、飼い主から追い出される。またジャンプしてドアの取っ手を・・・ 以下、その繰り返しです。

でも、今ではそんなことはしません。ドアを閉じられてしまったら、ドアの前にスッと立ってひたすら出待ちします。そして3分に一回ぐらい寂しそうな声で「ニャ・・・ウォーン」と鳴いて、飼い主に開けさせようとするのです。

これは飼い主にとって気が散ってしょうがありません。過去のように無理やり入ってきたら「このやろー」と思い、ただひたすら追い返します。しかし、今度の相手はなんとも寂しそうに鳴いてきます。しかも、彼女のことを忘れるか忘れないかという絶妙なタイミングで。気になって気になって、しょうがありません。結局、人間が根負けしてドアを開けるのです。「労せずして得をとれ。」僕の第一ポリシーを飼い猫が理解してるんじゃないか・・。

そもそも、なぜペットを飼おうとするのでしょう。その目的は「愛玩」だとされています。かわいがって世話をするのが楽しい、癒される。その効果はアニマルセラピーという確固とした医療手法が確立されていることからよくわかります。人間、癒しを求めてペットとふれあうのです。

じゃあ、ペットにとっての癒しとは?ペットだってストレスを感じているはずです。食べるものは自由に選べない、外の空気を吸いたくても勝手に外には出られない、寝ているところを起こされ、遊んで欲しい時には「うるさいから寝ろ!」と怒鳴られる、などなど。ペットだって「ああしたい、こうしたい」という欲望を叶えることができずに鬱憤をためているはずです。

「ケアする人(ネコ)のケア」、癒しを与えてくれる存在だって、癒しが欲しいはずなんだからたまにはサービスしてあげなきゃ。ネコの耳をかいてあげながらそんなことを思うのでした。