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テーマ「掃除」その2 掃除から「合理性」の意味を考えてみた

 一週間ぶりにブログにアクセスしたらデザインが変わっていて、おやっと思っています。今週はJが担当致します。 今回のテーマは引き続き「掃除」ということなんですが、正直書きづらいテーマですね。もし清掃用具のメーカーなんかの面接で「あなたにとって掃除とはなんですか?」なんて聞かれたら固まってしまいそうです。

とりあえず前回のKの投稿にリアクトしたいと思います。

「合理性」とは何なのか

 「合理性」、よく聞くワードですね。「合理的な経営」「合理的選択」など、形容詞や副詞の形態で使用することの多い言葉です。大辞泉を引くと、①道理にかなった性質。論理の法則にかなった性質。②むだなく能率的に行われるような物事の性質。「―に欠ける役割分担」とあります。日常的なシーンでは二番目の用法で使われることが多いですね。むだのない能率的な行為は利益を最大化する、ビジネスシーンでよく聞こえてきそうな主張です。効率的という語とほぼ同義で使われていそうですね。「効率的」を同じく大辞泉で引いてみると、効率がよいさま。むだがないさま、とあり、「効率」は①に機械などの、仕事量と消費されたエネルギーとの比率。「―のよい機械」②に使った労力に対する、得られた成果の割合。「―のよい投資」とあります。

 今度は合理性の意味に含まれる「能率」を引いてみると、一定時間内にできる仕事の割合。仕事のはかどり方。「―が上がる」「―が悪い」と書いてあります。うーん、「合理的」と「効率的」は一般的にはほとんど同じような意味で使われているようにみえますね。 ちなみに「合理性」という語はreasonableという語の訳語として当てられます。(語の意味に執拗にこだわるのはもう職業病のようなものなので許してください)reasonableをODEで調べると、

1, having sound judgement; fair and sensible:

■based on good sense: ■《archaic》able to reason logically:

2,as much as is appropriate or fair; moderate:

■fair good; average ■(of price or product)not too expensive:

と出てきます。ざっと訳してみると、1の方は、健全(正しい)判断を持つこと;公正(妥当)そして分別のある、思慮のある、とあり、2の方は、可能な限り適当な、適正な、とような意味になります。一応、2の用法に(値段ないし生産物に関して)高価でありすぎない、不経済ではないというような意味がありますが、reasonableに「かけたコストから最大の利益を引き出す」というような意味を読み取ることは難しいように思います。哲学の文脈でreasonableは基本的に「理にかなった」と訳し「効率的」と訳すことはまずありません。(「効率的」はutilityefficiencyを使います)

 同じ「合理性」を意味する語でも日本語と英語では少しニュアンスが違うことが分かります。日本人の「合理性」の使い方はなんだか窮屈でいっさい無駄が許されない脅迫めいた意図を感じます。reasonableは無駄を出しすぎないように求めていますが、あくまでnot too expensiveです。

 さて、ここまでながながと辞書を引き引きしてきたわけですが、結局何が言いたいかというと、無限ループになるから掃除はしないという態度は効率的とは言えても、合理的とまでいえるだろうか、ということです。労力を振り絞って掃除をしてもどのみち汚れてしまうのだから掃除をしないのは効率的かもしれない。使った労力に対する得られた成果は低いのだから。でも掃除をしないのは理にかなっているのか?掃除をする必要性を下げる方が合理的なんじゃなかろうか。合理的だから効率的とは言えても、効率的だから合理的とは言えないんじゃないのか?というのがKの記事を読んで感じたことで、さらに日本社会における「合理性」の一般的用法って狭すぎないか?と思ったのです。じゃあ、理にかなった行為ってなんだよ、という声が聞こえてきそうですが、「理」や「道理」について考えるのはまた今度。

自分の掃除観

 自分も掃除はできればしたくない方です。掃除が好きな人もいますけど、たぶん掃除はしなくてすむならしたくないって人の方が多いんじゃないかな。それじゃあ、できる限り掃除の頻度を下げるにはどうすればいいのか? もしくは、大変な掃除をしなくてすむにはどうしたらいいのか?

 私見では、持ち物を減らすこと、これに尽きると思います。ものが多いと管理するのが大変だし、それだけ多くの収納スペースを必要とします。出したらしまわなくてはいけないわけだけど、しまうのが面倒くさいから部屋が散らかるのだから、いっそしまうもの自体を減らしてしまえばいい。そうすれば部屋にものが散乱しにくくなるのだから、掃除の頻度は減ってくる。いや、もしかしたら矛盾しているようだけど、ものが減れば掃除が苦ではなくなって頻度は上がるかもしれない。すると日常的に掃除をしているから、大変な大掃除をしなくてすむようになる。

 ここまで、書いて「掃除する」と「片づけする」を混同して使っていることに気付いたけど、「掃除する」を掃除機をかけることや、ほこりを拭き取ること、と狭く解釈しても、ものを減らせば解決できます。家具を減らせば掃除機かけやすいし、机や棚の上にものがなければ拭き掃除しやすいでしょ?掃除機のヘッドが家具にあたって思うように吸い取れないのはイライラするし、隙間のごみを吸い取るために家具を移動させるのが面倒だから、掃除機をかけるのは億劫になってしまう。それなら、家具は最低限に減らしてしまえばいい。私は将来一人暮らしをしたら、部屋にはデスクしかおかないことに決めています。

 こっちの方が理にかなっている気がしてきませんか?(ごめん、Kよ。挑発してるわけではないんだよ。) 最近片づけできない人の家に行って掃除する番組をよく見ますが、みんな、もの持ちすぎ。買う前によく考えようよ。

おわりに

 書き辛いテーマだからといって、語の定義で話を引っ張りすぎでしたね。すみません。 今回は「合理性」ってどういうこと?ということ、そして私の掃除観についてお話しました。楽しんでいただけましたら幸いです。 それではまた来週。