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目的半分、暇つぶし半分。

文章力をあげるため、そしてなにより暇つぶし。

テーマ 「新生活」 祝辞の楽しみかた

テーマ 「新生活」

今回のテーマは「新生活」。 入学、入社といった新たなステージに飛び出す時季ですね。ブログ第1歩目を踏み出す自分ももちろん、「新生活」1年生であります。 第一歩目が今後のブログを左右する、と思うと身が引き締まります。いいスタートを切って、相方にいいバトンタッチをせねば。

ご入社おめでとうございます。
今日この、めでたき日に当会社の一員となられました。
心よりお慶びを申し上げます。
当会社は〇〇業界においてシェアが・・・・。
さて、当会社の一員となられた諸君には
様々な可能性が広がっています。
その可能性を信じ、
実力を存分に発揮していただきたいものです。

ぼくが居合わせた入社式での祝辞をまとめてみました。どこの会社でも、だいたいこんな内容でしょう。祝辞の展開として

「1、お祝い、歓迎の言葉」、 「2、会社紹介」、 「3、今後の活躍の期待」

という3点セットが恒例です。

小学校、中学校、高校、大学、会社・・・、新たなステージに足を踏み入れれば必ず祝辞の洗礼を受けます。あえて学校に限定すれば、入学だけでなく卒業も含まれて「小・中・高・大」×2=8回、祝辞を聞けます。人生で8回、あれ、意外と少ない?

でも、この祝辞は聞いてる人間からすると苦痛この上ありません。これまで8回も同じような内容を聞いているんです。そりゃ、飽きますって。しかも、1人あたり7、8分ぐらいしゃべります。1人ならまだしも2、3人がしゃべります。パイプ椅子に座っている人間は、お尻が痛くてムズムズ・・・。ゆっくり、ゆっくりとパイプ椅子の背もたれによりかかる・・・。

ここまで文章を読んでいる人はさぞや、こいつは祝辞が嫌いで嫌いでしょうがないヤツだとお思いのことでしょう。実はそうでもありません。祝辞には祝辞の楽しみ方があります。そこで今回は長い、長い祝辞の楽しみ方を伝授いたしましょう。

なぜ、祝辞がいつもいつも、同じような構成で内容なのか。それは自分の価値観を振り返える指標になるからです。

「諸君には様々な可能性が広がっています。」
うそつけ。いまから医者になろうったって、物理学者になろうったって無理だろうが。おれは第一志望の大学にいけなかったんだ。ってことは俺より頭のいいヤツ、より良い道を進むヤツは腐るほどいるってことだ。そいつらと同じ道へは行くことができないんだ。可能性は年をとるにつれて狭まってるんだよ!

ぼくは祝辞を聞きながら、こんなことを考えてます。どーせ、喋ってるお偉いさんは毎年毎年、おんなじような内容しかしゃべってないんだろうな。それにこの人自身、年をとるにつれて可能性が狭まっていることなんて身をもってわかってると思うんだけど・・・

あれ、でもこんなひねくれた考えをし出したのはいつ頃からだろう。たぶん、高校入学時だろう。中学生で、バスケ部でイケメンなやつが偏差値70、期末テストで全教科90点後半~100点を叩き出したのを見て、世の不条理を体感したんだったんだよな。そうだ、たしかあのころらへんから、ひねくれ出したんだ・・・



祝辞は同じような構成・内容です。
ですが、だからこそ、自分の移り変わりに気づけるのです。

「高校入学して校長の話を聞いてる時はいろんな可能性を頭に浮かべていたな」 「あの頃はポジティブたったな・・・」、 「でも、3年後の大学入学時は自分の無力感に打ちひしがれてたな、挫折したんだったよな」

祝辞が同じような内容なのは、長いのは自分の考え、偏見を見直しましょうという意味ではないか。同じ言葉だからこそ、自分の核が変わっていることに気づけるんだ。
ぼくはこういう考えを持って、祝辞に臨んでいます。

これはあくまでもぼくなりの祝辞の楽しみ方です。もし、この文章を読んでいる方が祝辞を聞いている際に「そういえば、祝辞を楽しむとか書いた文章があったな・・」と思っていただけたら幸いです。あなたの「価値観の移り変わり」に寄り添うことができたということですから。

以上、ぼくの「新生活」でした。さぁ、相方よ。次はきみの番だ。きみの「新生活」はなんぞや?